私小説“整体とワタシ”アルタナティブな新世界なきらめきがやってくる

この春から会社勤めしだしたワタシのオネェちゃんは、ワタシが言うのもなんだが、ちびまる子ちゃんに出てくるオネェちゃんそのものだった。ヲタクでインドアなワタシには出来すぎた、才色兼備な人だった。そんなオネェちゃんでも、社会の荒波は辛いものなのだろう。このコロナ禍の最中の5月ぐらいには「妹よ、笑え、私は社畜に成り下がったのだ」と、それまでは馬鹿にしてあまり見ることのなかった深夜番組の前でどっぷり氷結の魔女に堕天していた。

このコロナ禍が一段落した梅雨の6月、その魔女は張りのあるかつての才色兼備へとみるみる復活していった。最初はなぜだか不思議だったが、どうやら整体なるものにはまっているとのことだ。それまでは遅遅に起きてダラダラと過ごしていた週末に、彼女は早くに起き出して、そそくさと出かけて行くのが日課となっていた。「はて、整体とはそれほど魅力あるものなのか」世間の事情といえば、アニメやらゲームやらのことしか知らないワタシにはトンと想像のつかない世界だった。

整体とは、素手だけで脊椎を始めとした筋骨の矯正などを行う民間療法とのことだ。どうやら、カイロプラクティックなる米国伝来の手法がつとに人気らしい。この素手施術は、主流となる日本古来の手技療法と、先に挙げた米国のカイロプラクティックの他に、中国医学発祥の、日本語の「整体」とは似て非なる「整体」が存在するようだ。

これら整体の概念と手法が多種多様であるには、それなりに意味があるようだ。日本でも欧米でもあくまで民間代替医療としての位置づけしかされていないからなのだ。だから、他のマッサージ類、例えばあん摩やはり師、きゅう師のような国家資格がないのだ。そんな不安なと思うかもしれない。なぜなら、資格が不必要なら、誰だって無資格無免許で「整体」行為を行うことができるからだ。

この整体の法律上の問題は、今でも整体の課題であるようだが、司法上一応の結論が出た事案でもある。時に1960年、「もはや戦後ではない」の豪語で有名なGNPの戦前水準超えを達成し、安保闘争の軍靴の音がズカズカと忍び寄る時代。係る事案に関して最高裁判所で大法廷判決が下された。無免許での医療類似行為が禁止されることは合憲である。だが、人の健康に害を及ぼす恐れの認定が禁止処罰には必要とされるとのことだ。故に、整体は人の健康に害を及ぼす恐れがない以上、法律違反ではないのだ。これこそ、現在の整体容認と氾濫の根拠である。

なるほど。ワタシはこれで合点がいった。指圧なら少し自信がある。長年ゲームで鍛えた、この指圧がようやく日の目を見る時が来たようだ。ワタシもオネェちゃんに負けじと整体師を目指す。見てろよ、優等生め。

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