PUI PUIモルカーに我々現代人が毎朝惹きつけられるのソコハカトナイ可愛さと深遠さにあるのだが、とどのつまり普遍的なモンタージュにあるのではないかと

PUI PUIモルカーに我々現代人が毎朝惹きつけられるのソコハカトナイ可愛さと深遠さにあるのだが、とどのつまり普遍的なモンタージュにあるのではないかと思う。

最近、ストップモーション・アニメーションのPUI PUIモルカーに嵌っている。可愛くて面白いからなのだが、どうやらかなりの人気らしい。YOUTUBEでの再生数が数百万にまで到達している。そんな大衆的で俗物的な物の見方なんてどうでもいいのだが、この現象の原因をすぐにわからない人がいるらしい。

そんなもの簡単だ。カワイイからだ。ただこの作品が秀逸なのは、あまり既視感を感じさせない初物のぬいぐるみ感満載のキャラクターによるストップモーションで動きと感情的なものが非常にわかりやすいことにある。これだけだ。普通面白くない作品や、つとにテレビの類は、アニメやドラマに限らず実写の番組でも大衆圧力に負けているか、それと同化したりそれを先導することを目的としているので言動の原因と結果、感情や思考が意味不明なのだ。まぁ、テレビだ。日本人だ。なんで笑っているのかわからん。なんで駄目なのかわからん。あいつら頭悪いらしい。学歴詐称だと思う。功利と効率と正義と公共、自己と他者の区別ついてないらしい。多分、人間じゃなくなるんだろうと思う。

そういんがないから、PUI PUIモルカーは面白いのだ。設定はかなり緻密かもしれん。そうしないとキャラものだから既視感満載になる。ストップモーションだから、動き決めてるんだろう。だから、モンタージュとか導線が非常に明瞭でわかりやすいのだ。人間じゃないんだが。。。これは日本人にほとんど人間扱いされていない北朝鮮の人を扱った「愛の不時着」でも言える。韓流のTVドラマは時々ちょっとわからないところあるが、基本的にTVドラマはどの国もそんなもんじゃないかと思うので非常にわかりやすい部類なんだと思う。そういえば、最近人気のアメリカの海外ドラマはウォーキング・デッドで、同じく勢いのある北欧ノワールの騎手のひとつである「特捜部Q」シリーズの映画「特捜部Qカルテ64」も題材がマルクス主義的な優生学に基づく堕胎や不妊であった。

まぁ、特捜部Qとウォーキング・デッドは海外も人気だから話は別だが、どうやら日本人に限らず人間同士の不信感が増しているんじゃないかと思う。人口が増えて距離感が狭まったからそう思えるだけなのかもしれんが。その度合が強すぎるんだろう。人間以外にしか感情移入できなくなっているんじゃないか。だったら、モルカーみたいなキャラクターだと思えば良いんじゃないか。アホなこと言っていると自覚している。

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