ニーガンのように扱われるドナルド・トランプ前アメリカ大統領の登場と退場はウォーキングデッド的な現代社会のただのポストアポカリプス的様相の一現象かやはりDX的東インド会社時代の一局面に過ぎないのか。とどのつまりは2020年アメリカ大統領選挙に見るデモクラシーの危機とは何か。

ギャーギャー放言を吐いていたドナルド・トランプ前アメリカ大統領がとうとうSNSから追放されてしまった。少し寂寥感でいっぱいである。本日はこの感情の内幕を少し説明したい。比較的サルトル的ニーチェ的なリベラルデモクラシーの徒であるはずの私が、イェーリング的ヴォルテール的で経験科学の体現者をその全身で主張している現代米中エリート層によるトカゲの尻尾切り的なドナルド・トランプの損切り的現象に対する恐怖感と、テレビタレント的な金持ち政治家として1980年代から活躍してきたのであろう老体ドナルド・トランプが、チョムスキーと軍事技術をその嚆矢としながらも憎たらしいまでに経験的な科学的発展を遂げてしまったIT諸文明と、リラルデモクラシー的反権力的マルクス主義的スタンスをその商業主義的なスパイスとして利用することで自らを穢し続けたマスコミやポップカルチャーをその象徴する諸処のポルノ的なあばずれビッチ的物質文明という2文明の架け橋的でアウフヘーベンな存在であり続け、紛れもなくもうひとりのテイラー・スウィフトであったとの当たり前な驚愕の事実を認識し、そしてその2文明の一段落的な決着とともに自らもあばずれビッチとして退場させられるという皮肉な結果に対する少しばかりの寂寥感、このふたつの感情を説明したい。

第四次産業革命と過大に祀り上げられるDX(デジタルトランスフォーメーション)なる電脳に支配されて自己の性を誤認して性転換したヒトの増加を指すこの流行り病は、その走狗でありドナルド・トランプ本人を祀り上げた張本人たちでもあるIT長者たちとその徒弟たちによる政治的差配により、一斉にSNSから追放されてしまった。こうした一連の動きに対して一応の批判を社会において公然と行うのもデモクラシーと資本主義の帝国の良いところなのであるが、Facebook代表が孤立しつつある彼を擁護していたのもついこないだのことである。あぁ、無情。このようにしてリベラルデモクラシーは敗北していくのか。ドナルド・トランプこそジャン・バルジャンそのものであったのか。どう見ても彼が敵役ジャベールにしか見えなかった私はやはりジョージ・クルーニーやテイラー・スウィフトに狂ったポルノ好きのオカマに過ぎなかったのか。無念である。

しかし、この極めて茶番に見える政治的現象は、その実際の擁護者として君臨してきたリバタリアニズム的経験科学的な徒たちの損切りに過ぎず、決してかつてドナルド・トランプを批判し続けてきたリベラルデモクラシー側の所作ではない。と言いたいところである。残念ながら、ここまではっきり言えない。そもそもツイッター社もフェイスブック社もその意思決定がひとりの政治的スタンスでとられているわけではない。終わったのにうるさいからアカウントバンされたのだ。やんちゃなゲーマーやユーチューバーと同じである。むしろこの悪徳警官ジャベールに見えたジャン・バルジャンの退場劇が指し示すのは、アナログ感満載のアメリカ大統領選挙に潜む、囲碁的チェス的なゲームに見られるような「負けましたと頭を下げるまでが遠足ですよ」というような政治的な決着をその終結とする数学的統計的というよりも美学的政治的なステートメントにより大人っぽく終わるというショーアップされた現代選挙に対する疑義という、非常にDX時代を象徴するような政治的課題をそのうちに潜ませているのだ。お分かりか、諸君。

噛み砕いて言うとだ。トランプをめぐる別現象として今もなお存在し嘗てから巨竜のようにずっと状況を伺っているのがトランプを次の大統領候補にし続けるという選択をしているアメリカ共和党である。ずっとそうであった。CA社の件でザッカーバーグを召喚した際も彼ら自身も関わっているのではないかと皆疑問に思っているのに公然とザッカーバーグ批判、SNS批判に与していた。恐るべし議会制民主主義である。

今回もである。次の20204年大統領選挙に推すということはどういうことか。さしあたりは共和党候補を選抜するまで中間選挙までの2年間であろう。これはしたりである。ただのかませ、指標にしようというのではないか。中間選挙までに旗色が悪くなればトランプのせいで良くなればまたその時の話なのだ。これをよく思わないのが一翼を担ったリバタリアンであろう。そういうことなら遠足のお菓子代は出しませんよ。お母さんが甘やかすからですよと言われたくないのである。比喩がすぎる。トランプの賛否に関わらずまリバタリアンとSNSがた印象操作を行ったと言われるのはリバタリアンからしたらたまったものではないのだ。だから、SNSから締め出した。これは痛手ではあるが、この先はまだわからない。いやぁ、これが幅寄せと席取りのお仕事、議会制民主主義の流儀である。

このように調略めいたことで議論が煙に巻かれてしまうが、議会制民主主義の権化であるバラク・オバマ元アメリカ大統領もまた「民主主義の危機」と叫んでいる。今回の大統領選挙後の混乱で問題になったのは郵便投票の問題である。これまで大統領選挙で問題になるのは得票率と選挙人投票のズレ的な問題であった。今回は郵便投票の票数が多すぎる。数えて票に入れないと正確性に反するぞ。てな話だ。いやぁ、これは大変でござる。選挙結果を不正確だと扇情的に叫びひっくり返そうとし続けてその根拠がうっすらあるというのは極めて大変でござる。わからなくなって信じろ信じろとなってしまうともう遅刻魔や浪費癖のあるクズの方便と同じになってしまうのだ。これが今嵌っている選挙の穴である。ここに印象操作や動員投票も双方に疑義が存在し続けている。大変でござる。

で登場するのが、リバタリアン陣営やプログラマー達がおそらく加担してしまったであろう印象操作の有り様の違いである。事実をおざなりにして扇情的な言葉で煽るのはダントンの二の舞でもある。しかし、ここに明確な事実とアルゴリズム、ターゲット分析が存在したとき、個人情報保護は問題ではあるけれども、印象操作されるのは必然だったのではないか。それは啓蒙なのではないか。悪くないんじゃないか。説得されて動員されたであろう過去の良識なリベラルな票と同じなのではないか。悲しい事態である。そのお菓子に罪はないのかもしれない。さらに登場するのが郵便投票うざいという流れと将来来るであろうインターネット投票である。もう伏線のようにしか思えないのだ。これが今回の一件に抱いた複雑な感情の内幕である。合掌。

まさに穢れた経歴ながら市長となり影を負うジャン・バルジャンを描いたレ・ミゼラブルや箱庭社会契約をその素材としたウォーキング・デッドを彷彿とさせる事件であった。選挙とは何か。ただの人気投票なのか。社会契約をするというよりも言い訳のように社会契約的な手順を踏んでいるだけなのか。なんとも後味の悪い話である。かくの如くにリベラルデモクラシーは散っていくのか。そして来る時代は巨大な多国籍企業と巨大な世界最大の労組中共の時代のなのか。恐るべき時代が弱き個人を待っているのかも知れない。お菓子モグモグ。

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投稿者: Hiyokomaru

こんちはっ! こっそり頑張るSOHOライター、ひよこ丸だよっ。 こう見えても、もう不惑のオジサンなんだ(汗 いつか立派な雄鳥ライターになるんだっ!

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